2016-08-13

近江のおばあちゃんのこと





綺麗なきれいな近江のおばあちゃんが96歳で亡くなった。
琵琶湖のほとりの真珠の養殖をしている裕福なおうちの末っ子。
一番上のお兄さんとは20歳以上年が離れていて、
もうこれでよいということで、名まえは”もよ”さん。

美しいお嬢さんになったおばあちゃんは、姉の嫁ぎ先の弟さんで
八幡商人の名の下、東京でホアイトアスパラガスの瓶詰め加工食品で大いに成功していた青年実業家と結婚。
たくさんの使用人さんを抱え、おばあちゃんのお仕事はじゃんじゃんやってくるお札にアイロンをかけることだったらしい。

母が生まれ、おじいちゃんはあまりの可愛さに母をおんぶしてお仕事をしていたとか。
そのころ手に入れた七段のお雛様は、今も母の大事な宝物の一つ。

戦争が始まり、おじいちゃんはもれなく戦場へと旅立った。
母が3歳のころ、東京にも戦火が押し寄せ
何かあってからでは遅いとおばあちゃんのお兄さん達が迎えに来て
おばあちゃんと母は、近江八幡へ疎開する。

戦争は、おじいちゃんと東京のお家をおばあちゃんから奪った。
これからどうやって暮らしていくもんだかと
琵琶湖のほとりの島の渡合の川岸で、親子二人でぼーっとしていたら
とりあえずもよさん働きなさい。働き口は近江兄弟社がいい。
空きがあるか聞いてあげるから。
優しい助言と共に仕事口を見つけてもらったおばあちゃん。

それからは仕事仕事のおばあちゃん。
まだ小さかった母は親戚をたらい回し。といっても辛い思いはしたことがなく、どこにいっても可愛がられたので楽しかったんだとか。

近江兄弟社で働きだしたおばあちゃん。
創設者はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
おばあちゃんはメレル先生と呼んでいた。
たまたま病気で席が空いていたところにいれてもらい、
その美貌から受付嬢に昇格。
メレル先生が、仕事中のおばあちゃんのポケットにチューインガムをそっと入れてくれるのがどれだけ嬉しかったのか、もう何百回と聞かされた。

メレル先生が、建築の部署を開設。
まだまだ時代は職場に女性を快く招かないこのころ、
メレル先生の「大丈夫大丈夫」の一声で、建築部門のメレル先生の秘書となる。

滋賀県の近江八幡では知らない人はいないヴォーリスさん。
もともと高校の英語の教師としてアメリカから赴任。
その根底にはキリスト教の普及もあった。
才能あふれる彼は、戦後の時代の波に乗り、
メンソレータムを始め数々の事業や社会活動をなしていく。
安土のとなり近江八幡の街は、キリスト教の信者さんが多く
街並みの至る所にメレル先生の功績がみられます。

そんな素晴らしい方のもとでお仕事させていただいてたら、
キリスト教への魅力も増していったに違いない。
そんなわけで、今回のおばあちゃんのお別れの会はキリスト教で執り行われました。
戦死したおじいちゃんは天台宗。おばあちゃんのお部屋には仏壇もありますが十字架も飾られてます。我が家ではたった一人のキリスト教信者。
いろいろ悩んだ挙句、両親はおばあちゃんの願いを叶えてあげたようです。

キリスト教のお別れの会は、おばあちゃんに会ったこともない牧師先生が、
何もかもわかっていますよという感じで素晴らしい会をしてくださいました。
お念仏の代わりにみんなで歌った讃美歌が私にはたまらなく
歌いながら涙が出てきました。

おばあちゃん今頃は、おじいちゃんやメレル先生に会えて
お花いっぱいの天国で過ごしていると思います。