2014-12-16

真珠のような再会


北西の風が顔を横殴りする中の朝の散歩。
追い風は楽だけど、向かい風の場所は飛んでいきそうだ。

走り出したから、回り出したのか。
回っているから走り出したのか。

そんな言葉が、私の頭の中をよぎる。

この一週間は、深海でゆっくりと身を結んでいった真珠に
出会うような再会が数回。
忘れたくないからここに書いとく。

店オープン当時から通ってくださってた親子4人。
お父さんもお母さんも相変わらずなのに、
すっかり子供達が大きくなっててびっくり。
また、家族四人で来てほしいな。


西の海のやんちゃだった男の子たちが主催するパーティで、
以前お世話になっていた職場のご子息に出会う。
小さかったその男の子は、よく私になついてくれて
泣いては抱っこしてあげ、どこにでも連れ回していた。
そんな男の子が、立派な青年になって、むこうから
「こんばんは〜!」と、グラスを傾けてきた。
「今度、イベントするから手伝ってね!」
そう促すとキラキラした目で
「ハイ!」
と、気持ちよく答えてくれた。



あれは、イタリアに行った年だから2010年。
オイル漬けを作っていくために新しくキッチンを作った年。

その次の年にオープンする予定の九州の玄関口にできようとしていた百貨店の九州大商談会。

一次審査が書類であって、
それに通ったものだけが二次審査の面接に行ける狭き門。
日時が指定され、会場には九州一帯から様々な企業がおしよせ、
企業の大小に関わらず、許された時間は各20分程度。
そぼ降る雪の中、指定された場所に足を運んだ私は、
田舎っぺで小さな自信のない自分をエレベーターの鏡の中でみつけ、
怖気づきながら面接の部屋へ足を入れた。

そこでその方に出会った。
まだ、お店のオリジナル商品が「牡蠣のオイル漬け」しかないのに、
それだけを持っての商談。
名刺を交換すると、長年お会いしたいと思っていたその方だった。
「僕がね、一次審査を通したんです。
 いいですね、このお店の世界観。
 ここをもっとこうして、こんな風なもの作って、
 そうするともっといいですよ。」
今振り返ると、すごく当たり前のことをその方は教えてくれた。

商談は商談にならなかったのだけど、
彼からのアドバイスをその後、確実に一つずつこなしていった。

あれから4年。
先日、その方の部下から電話が入った。
協力していただきたい案件がありますと。
どんな形で協力できるかわからないけれど、
あの日のあの言葉へのお礼がどうしてもしたいと思い、
久しぶりの再会へと人が賑わう九州の玄関口まで行ってきた。


小さな私ができることの身の丈はいつも念頭に置いて
大きな夢と希望をもって進んでいこうと思う。
私を生かしてくださってるみなさんのために。
そのみなさんの笑顔をたくさん見るために。





2014-12-06

忘れていたこと。


昨日、長崎美術館へ行った。
その出で立ち、展示品、お土産コーナー、職員・・・

隅々に至るところまで行き届いたハイセンスさに脱帽。
いやいや、すばらしいね〜

今回の目的は、テオ・ヤンセン展。
作品は、すべて風を食べて生きる生物。
その生物の目的は「生き残ること」
まいりました。

そして、出口付近の動画で彼がこう呼びかける。
「人生とは大きな遊びのようなものです。」



そうだった!忘れてた!
後ろに3回転しそうなくらい感激した。


テオ・ヤンセンの言葉を頭に反芻しながら、
こんなこと誰かも言ってたなぁと
大好きな、Y.シュイナードやリチャード・ブランソンのことを思い出し、
私の近くにいる遊びを大切にするお兄さんたちのことを思い出した。
この糸島にもたくさんいる。
自分も楽しみながら、
たくさんの人を笑顔にできる愛に溢れた純粋無垢な人たち。
そんな人たちに、育てられたから今の私がいるんだろうな。


たかが塩ビの塊が、生命を持っているように感じる。いや、もっている。
それは作ったもの、それを世話するものに愛があるから。
久しぶりの美術館は、
たくさんの学びを私にくれた。


煌々とした満月のひかりは、
忘れてはいけない何かを、思い出させてくれた。
ひたむきにひたむきに楽しく生きていこう。


2014-09-02

お休みの日の糸島めぐり




















お店がお休みの今日
お昼前後に数週間後の打ち合わせを少々。
気の向くまま車を走らせる。

きっとこの先に違いない。
そう思ってハンドルを握っていたら当たり〜

本読んでのぼせ上がって
来ちゃった、龍國寺。
手入れの行き届いた美しいお寺。



これこれ、原田大六先生にお参りしたかったのよ。
境内にかかれている言葉
ひとつひとつが身にしみるメッセージ。

なんて水と緑が豊かでこんなに美しいんだろう。



龍國寺を後に
49号線を南へハンドルを切る。
糸島の中にはいろんな表情がある。
ここは平家の落人の里。
千寿院の滝は肌寒いほど




緑のパノラマを横目に
山を下ろうとすると電話が鳴る。
「今日はお休みでしょう?何時でもいいからご飯食べに来ませんかぁ?」
嬉しい言葉
急いで山を下りました。












ついた先は、家中においてあるものが、
たのしいお家。









父より年上のSさんから
お庭でとれたハーブでグリルしたチキンとお野菜を
手作りの山椒のオイル漬けとバジルのオイル漬け
をかけていただいたり
もういたれりつくせり〜

今日は龍國寺に行って来たんですよ
とお伝えすれば、
原田さんの奥様イトノさんと粉々に砕けた鏡を
一緒に繋ぎ合わせた仲ですよと。

そんなSさんのお家には
様々な石器も飾られていました。



2014-08-28

期待の音


先日図書館で借りた本
先日、「面会謝絶だぁ」を読んで虜になってしまった
原田大六さんの「実在した神話」の表紙をめくると、

”シュリーマンはホメロスの詩から多くの史実を実証した。
 著者はシュリーマンの夢を日本でもう一度再現させようと
 精魂を打ち込んだ。魏志倭人伝の糸島に住みついた。
 そしてついに、掘り当てたのが「平原古墳」である。"




この背表紙を読んだ瞬間に
私の脳裏には、
シュリーマンが探し当てた
二年前に行った
あのトルコのいや、イズミールの嘗て遠い昔
戦場だったアーモンドの花咲く大地や
トロイアの馬が目に浮かび























 ギリシャからアジアまで征服した
アレクサンドロスの棺を見に
わざわざ再度イスタンブールの考古学博物館まで
足を運んだことを思い出した。


この本をパラパラと十数ページめくった所で
怡土国歴史博物館へ
久しぶりに行ってみたくなった。

館を出た後に
なんだか気になるこんもりした山や神社があるので立ち寄ってみる。



なんのことはない、
帰って来てまた原田先生の本のページをめくってみると
立ち寄った小高い山のような古墳も
神社もこの本ではかなり重要な
意味を示すもの。

今までの自分の偏った趣味が
音を立てて繋がりだしていく。
体が震えるような期待の音だ。

2014-06-09

今朝の出来事。




明け方近くに、
背中の肩甲骨の辺りがむずむずして、
その辺りに今までと違った重力を感じる。

背中で無意識に動くそれは羽だった。

なるほどね、こうやって空気を下に押す感じにすると
ふわっと行く訳だ。

何回か、宙に上がる練習をしてみる。
春先に、巣から飛び立ったヒナたちの動作を観察しておいてよかった。
あとは自分の勢いだけ。



飛べた。
家が町が、どんどん小さくなっていく。


どうしよう、箒で飛ぶのも好きなのに。


2014-05-13

My Bithday

5月13日、私の誕生日。
朝から母に、
「お天気のプレゼントをします」
と連絡をもらい、
「おかげさまで、無事に48回目の誕生日を迎えさせていただきました。
この世に生を受けさせていただきありがとうございます。」
と返す。


さて、
今日はいつもと違った時間を過ごそうと、
久しぶりの大好きな人のところへ向かう。


大好きな人は十才近く離れたハイソサエティーな生い立ちのすこぶる美人。
ファッションもインテリアもセンスよく、
おしゃれな事をたくさん知っている。

料理上手で、もてなし上手な彼女の料理をゆっくりと楽しみ
燃えるような恋を何度も繰り返し、
かといって人から後ろ指を指されるような行為をしない
フェアーで美しい心を持った彼女と
午後のひとときを過ごす。


綺麗な人はいいね。
出会うだけでうれしい。

素敵な年上の人がいると
これから生きていく大いなる励みになるもんです。
そんな人を目指して、
えっちらおっちら 私も生きていこうと思います。




2014-04-07

細菌いや、最近のあれこれ memo


あ〜、明日は久しぶりの休み。
店を、家を、この町を抜け出して、ゆっくりリフレッシュしてこよう。

ここ最近のあれこれ。
(なにゆえなにゆえ、自分の為のメモですので…)


今週は、ちょっと悩めることがあって、
そんな時には、私の頭の回りにはうっすらとドーナツのような雲が張っていた、週半ば。


ふと、厄年と言うのは
その厄年の時に何もないのが”いい”のではなくって
何かその人その人の身の丈にあった困難がやってきて、
それを自分の力で克服することによって
その人がひとつ階段を上れる
そんな事なのではないかと思った。


日曜日のNHKスペシャルで
あの科学者の山中教授が
「細胞ってのは本当に素晴らしくって、
 コレはやっぱり神様にしか作ることができないものだと思います。」
と、言ってらした事に深く感動。


やっと日曜日が終わり、
ホッとした気分で今週はこんなことがあったなぁとか、
来週はアレしてコレして
なんてお布団の中で考えていたら、
いきなり左肩に、上空から何か落ちてきたように
私の左肩にバシッと当たった。
その瞬間それまで考えてた事がぶっ飛び、
何が起こったのか解らなくなった。
ふと、頭に金星が飛んできた空海もこんな感触だったのだろうか?
と、頭をよぎった。

疲れてたかな。
やっぱり明日はゆっくり休もう。

2014-04-04

クンダリニー memo


忘れたくないのでメモ

今日(4/4(金))私にとって特別な日なのは、
その数字で感じてた。

昼下がりに近所のY子さんとともに、今宿に住むと言う初老のご夫人が店に。
ご夫人は、店にある世界地図が気になるご主人に頼まれて来店。

Y子さんが、
「野北の牧場の椿谷と言うところには水晶が埋まっているので有名で
 そのぞっとするような断崖絶壁な場所に
 怖いもの知らずの子どもの頃にはよく行ってた。」
と、いきなり話しだした。

隣に座っていたご夫人
「だったらそこはかなり波動が強いわね」

え?
(満月の日や、皆既月食等、天体が
 いつもと違った現象になるときに
 何かに突き動かされるように、
 裏の山に車を走らせてしまう私。)

「それって、私が満月の時とかに行く場所の付近だわ」

ご夫人
「あら、だから私、今日ここに来たのね。」
そのご夫人は、
自分の手から光が出ているのが見える事。
クンダリニーができる事。
諸々の精神世界の話をしてくださった。


==上下どちらも ↑↓ 忘れたくないので、自分用のメモ。==

テレビに出演したワンタッチネイルのイベントがその日に店で。
そのテレビの前に出ていた店で翌日ディナー
ブラジル人の彼氏がいる女の子が来店
その子のお兄ちゃんが本に載ってる
そのお兄ちゃんは…
タカシ、セイジ君、ジーンズ、
岩田屋、TV,


水晶つながり、ハーキマーダイヤモンド、野北椿谷、
アボリジニ、アナスタシア、スライヴ、チベット体操、
メヴラーナ、クンダリニー、
全部螺旋、ぐるぐる回り…












2014-03-17

三月の満ちた月の日に思ったこと。

三月の月が満ちた朝。
なんだかとても清々しい気持ちで目が覚めた。


そうだ、今日はこの陽気で一気に咲き出したユキヤナギの白い花を飾ろう。
白が際立つように緑色のクリスマスローズも添えて。



いろんな人がいろんな相談をしに来る。
それはその人自身にとってはとても大きな問題で
どうやって解決すればいいのか
一人で考えれば考えるほど迷宮に入り込んでしまう。

私自身も自分が予期してもいない辛い出来事があると
戯れ付くようにいろんな人に聞いてもらう。

今朝、どうしてそんな”問題”が起きるのかちょっと考えてみた。

悩みを相談するものは
自分はこれだけしているのに
自分はこんなに考えているのに
自分の家族や環境はこうなのに…

相手はいったいどうなっているんだ!

と、考え方の定規が自分になってしまって
相手の身になって考えられなくなってしまっている時がほとんど。


自分が受け入れられない事柄に対して
拒絶反応が起きて
”愚痴”
になるんだよね。
それも、愚痴が出るのは
その相手の事が気になるから、好きだから。

とてもいいコミュニケーションがとれていた
綺麗な色の記憶があるから
どうしてこうなったんだろう?
ってなる。

ここ最近の
ものすごい数で私のところに相談にきた人たちの
ほとんどの悩みがこんな風。




なんか答えは簡単な気がした。
自分がして欲しい事を相手にすればいい。

人の足りないところは
自分に足りないところかもしれない。
自分が、言わないで、しないで、
相手にだけ
それ
を求めてはいけないよね。



ありがとうと言われたければ
自分がありがとうと言ってれば
言われた相手も
必ず、ありがとうと言い返す。

ごめんね。
って言えば
相手もこっちだってごめんね。
ていうはず。



I wish that everybody wood be HAPPY


2014-03-13

アセンションな夜


私は波打ち際にいる。
いや、その波打ち際の小さな石の粒、
砂になってしまっているようだ。
体中に波を感じる。

砂粒になって波に身を任せていたらいきなり重力を感じた。
確かに下には地面があるけど、
上からの重力を感じる。
何かが乗っている。
砂浜は、山のせせらぎに変わり、
私は上の方から下に向かって流れていっている。

出来ていっている。
水が
地面が
川が
木々が

そうそう、神様は昔こうやって
私の体を作ってくれたよね。
ここはこれくらいにの長さにしよう、
ここはこれくらいの太さと強さにしようって。

そしてその体を使っていろんなことをしたよ。
歩いたり、走ったり
笑ったり、
何か作ったり。

大きなものもたくさん作った。
美味しいものもたくさん作った。

ちょっといろいろ使いすぎたから、
元の感じを思い出そう。




昨日、私は
友人の好意で
ある施術を受けた。
そのイメージが上記の文章。

前回、彼女の施術を受けたときに、
「このまま死んでしまいたかった。」
という私の表現に、
「やめてください、みんなが困ります」
と、真顔で返事をしてくれたんだけど、
いや、それくらいに気持ちよく、
私的にはアセンションしてしまったのである。

施術中は、
素晴らしい世界で
その日、自分が気に入ったアロマのオイルをチョイスし、
ゆっくりと揉み解される最初の過程の感じは水。

次に温めた石を体の各所においてもらうと
その石の重さで
自分が地面と何かの間にいる
ひとつの“有機体”である感覚を覚える。

そして、人の体がどんな風に太古から出来上がっていったかの
記憶を呼び戻されるような感覚の
筋膜リリース。

途中、心地よい進み方の手の動きに
不思議になってその友人に、
どういう方法であなたは手を動かしているの?
と、たずねると、
私は、マコさんの体が言う方向に
手を動かしているだけです。と

この手が、恐ろしいほどに
解っている。


人は自分の体を
自分で形成していっているんだなぁと思う。
その形や大きさ、
姿勢、癖、性格、食生活
その他諸々…


昨日は、久しぶりに
本来あるべく私の姿を取り戻す
いいきっかけの夜だった。


人も、動物も、植物も
わたしたちのまわりにあるものは
あるひとつの秩序によって成り立っている。
それは宇宙もだと、
アーヴィン・ラズロもCosMosで言っていた。



私が、日々の生活でとても大切にしているものは
“感覚”
見えるものも、聞こえるものも、味も
香りも、感触も、そして何か感じるもの
そう言ったものが
しっかりと心のこもったトリートメントをしてくれる方からは
言葉ではなく
体全身から感じることができる。

素直な心で素直な人に身を解してもらうと、
感覚がより良くなり
なおかつ体が癒された夜だった。