2013-11-08

もうヒトには騙されません。


昨日も今日も雲ひとつない晴天。
いらっしゃるお客様は
口を開けば、なかなかの強者ぞろい。
ここ最近は濃い(話しの内容や人格が)お客様が多い…

何度もお店の扉を中が見えるようにしようか?
とか、もっと派手な看板を設置しようか?
とか考えたこともあったけど、
これでよかったのかもしれない。

今日は、昨日手に入れた来年のPowerBookに、
たいそう共感できる素敵な文章が載っていたので
自分でメモすると、ますます頭に入るので
そうしたくって、ここに書いてます。



仏の教えは身体を借り物と考える
自分のものであって自分のものでない…


唐の時代、宗一大師・師備(しび)という人が中国で活躍する。
雪峰山の真覚大師のもとで昼夜の別なく修業したが、広く諸国
の禅師を訪ねて行を完成させようと山を下りた。
道に出た途端石につまづいて足の親指にケガをする。
『痛たたぁ〜』、
血が出た指を押さえながら彼は考えた。

「この身体は自分のモノではないのにどうしてこんなに痛いの
だろう」。アッと気がつき山に帰った。


師の真覚は問うた。
「どうした、もう諸国巡りはやめたのか」。
師備は答える。
「もうヒトには騙されません」。
真覚はこの言葉を聞いて大いに褒めたという。


ボクは何年もこの問答がわからなかった。体調を壊してやっと
理解できる。ここでは「聴いて理解すること」と「自覚してわ
かること」の違いを教える。ボクたちはヒトの話を聞いて、世
の中を理解したつもりになっている。テレビの中で展開されて
いる話を聞いて、物事の本質がわかったような気になるのだ。

それが恐ろしい。その場しのぎの情報で真実をつかんだ気にな
るからだ。しかし真実を把握することはまったく違う。
情報や知識が知恵になり、そして智慧に成熟しなければ真実は
姿を現さない。
確かに智慧のスタートは情報からだ。自然現象や人間世界の有
様を、情報によってつかまなければ知的活動は進まない。情報
は結局ヒトから得られるから、数多くヒトや書物に触れなけれ
ばならない。


でもそれだけでは人間は成長しない。お互い借り物の耳と目を
使ったやりとりだけでは情報を成熟させることはできないのだ。
学んだ情報、把握した状況、それらを自分という本物で”しか”
と見つめ、心で発酵させなければならない。精神の奥深く起こ
る感応と実感、その化学変化が重要なのだ。

師備は見て聞いて学ぶ「聞解」(もんげ)の段階を超え、「修
習」の段階に入った自分を実感した。そして山に帰り、「ヒト
から学ぶことを卒業し、後は自分を高めるだけです」と告げて
自己鍛練の道につき進む。


今年の「展望と開運」を書きながら考えていたことは、自己の
使命だった。使命はだれも教えてくれない。しかし生きている
限り使命からはなれることはない。自分の残された使命をどこ
に向けよう。自分を捜しながら書き綴った。

「展望と開運」2014 村山幸徳 より