2009-09-10

運命の出会い


























今週の筋トレ http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/index.html
の週報で
(いや、なんともこの丁寧な文章の占いを
毎週末読むのがすっかり私の楽しみになっているんだけど)
こう書いてあって

『青空に大きな白い鳥、足元にピンク色のリボン、
遠くに見えるのは目指しているおおきな都市の影。
今立っている場所の風景は
そんな感じです。 …』

先日友人の家で朝目が覚めて
ふと景色を眺めていると

青空に一羽の白いサギが飛んで来て岩場にとまり
足下の岩の間にピンク色の蛸がへばりついている。
眼下からつづく海の先には岬とそこに立つ家々が見えている。

あれっ、今週の筋トレに書いてあった文章のまんまだと
一人思い出し笑いをしてしまった次第。


遊びに行った友人は同い年の丙午で
この夏にはじめて出会ったにもかかわらず
親、育った状況、親から譲りうけた時計など
かなりの共通項があり
その中でも一番ビックリなのは
彼女が10年前からフィレンツェ在住で
その住んでいる場所が以前私が住んでいた場所とものすごく近いと言うこと。

そんな運命の出会いのような彼女との話は
留まるところを知らず
これは他の人にどれほど丁寧に説明しても伝わらない事柄が
一瞬で伝わる心地よさ。
どんな種類の話をしても
お互いに理解しあう部分が大きいことの悦びを憶えた。

うれしい彼女との語らいの場所は
彼女たち家族が
夏のバカンスに数ヶ月過ごすという
海辺の別荘。
家の敷地内からそのまま海に降りて行くことが出来
隣の家々との間隔がいい感じで離れていて
まわりは森に囲まれている。
なんともすばらしい場所。

夜に朝にと家の周辺を散歩し
彼女の家を出るときに
”いってらっしゃい”
と彼女から言われ、もちろん
”いってきます!”
とこたえた。

帰りの道すがら
めったにこんな気分にならないのだが
また、あそこに行きたいと
ちょくちょくあそこに行きたいと
できる事ならば、いつか住みたいと
そう思った場所だった。

2009-09-04

好きなもの


彼は小さな頃から体が不自由だった。
リューマチで
彼が産まれたその頃に二人の兄姉を失った両親は
ただただ、彼が生きながらえてくれることをのぞんだ。

痛い体のまま育っていく彼に
人間の友だちはいなく
彼の友だちは
おじいちゃんのところで暖かく迎えてくれる
草木やそのまわりの虫たちだった。
大切で大事な友だちをずっと見続けることにより
彼の観察眼は
どんどん優れたものになっていった。

そんな彼が残していったスピリッツを
今でも築き上げようと
情熱を傾けている男性が
スペインから帰国した。

帰国したその日に脳科学者の池谷裕二氏との語らい
二人はかなりの同感を憶える。

その中の一節
人は長く見ているものに対して
いわゆる”愛”を憶える
長く接しているのだから
嫌いな訳は無い
そう思い込むらしい。

これは植物や虫が好きだった彼にも
相通ずるものがある。
だって、幸せな少年期の大切な友だちだったから。

人は幸せになる為に動く
それは、家庭を持つことであったり
恋愛であったり



本当の幸せとは?
と彼は問う

彼が作り出すものは
まわりの人が幸せになる為に作られていったもの

彼が思う本当の幸せは
人の中に自分がいかにして生きるか
というもの


そんな彼の心は、
今でも数々の職人に託され
数々の人の心を幸せにしている


彼、アントニオ・ガウディといまだに対話しながら
彫刻を続けている
外尾さんの話を聞いた今日だった。

20年前に行ったサグラダファミリァは
どんなに成長しているんだろう