2007-04-25

クイズ番組


もうかれこれ十年くらい前でしょうか。TVのクイズ番組にでたことがあります。それも大晦日から元旦にかけての深夜。TVQの何周年記念とかいうクイズ番組でした。友人からFAXで詳細を教えてもらい、ボビーを誘っていきました。場所は博多スターレーン。番組側は1000人集めたかったみたいでしたが、6〜700人くらいしかいなかったように思います。

クイズが始まりました。まずは知能、運、体力に別れてくださいとの指示。私とボビーは体力を選びました。やったゲームはドッチボール。それも円型タイプ。丸い円の外側から、ボールを中の人に向けて投げられて、ボール当てられた人が負けってヤツね。ここでかるくボビーは敗退。TVに写ると思ってすんごく短いショートパンツにエナメルのリボンの付いたブーツでおめかしをしていった私は、生き残ることができました。(それでかどうかはわかんないけど)次は知能班、運班、体力班で生き残った人たちが2グループに分けられました。私は何となくひとつのグループに入りました。これまたセーフ!もうひとつのグループははずれだったらしく、極寒の中カキ氷を早く食べた上位何人かが生き残れるというもの。

難なく、たまたま運のよかった私たちは博多スターレーンの横に止まっていたバスに乗せられ、TV局のスタジオに連れて行かれました。スタジオの中は”アタック25”のスタジオみたいになってて、観客の席が五色の色別に縦割りになっていました。奥からつめて座ってくださ〜い、というスタッフの人の声をよそに、私はどうしても手前の椅子に座りたく、そこに腰をかけました。これまたあたり!自分の座った席の色の回答者が勝ったため、その色の席に座っている私たちが今度は回答者となってクイズが始まりました。 
大晦日から元旦にかけてのこの番組、もちろん生放送。まぁ、さばけ無さと言ったらすばらしいもので、もともと2時くらいには終わるはずらしかったのですがこの時点で軽〜く4時をまわってました。もう、スタッフ、ゲスト、回答者、みんな顔には“早く帰りたい”というう文字がにじみ出てきてました。

忘れてました、このクイズ一等は百万円です。これにつられていっちゃったんです。ボビーをそそのかして。

この色別の席に一緒に座った春日原から来た女の子、彼女は遅くなると帰りのタクシー代が無いと困ってました。
彼女を含む五人がまたもやクイズクイズ。これが山笠の流れを全部言えとか、五種類の明太子の味を食べて分けろとか、時間もかかる難問ばかり。そうこうしているうちに、TV局側も時間がかかりすぎていることが気になってきたらしく、最後の問題を出してきました。この残った五人の中の誰かが百万円もって帰れるのです。かなりわくわくドキドキしてました。

さて最後の問題”福岡県で六番めに人口の多い市はどこでしょう?” 知るか!んなもん!みんないろいろ答えるけどなかなか当たらない。さっきまでとなりに座ってた春日原から来た彼女が小さな声で答えた“春日市”

“正解です!優勝はあなたです!”
司会者スタッフのうれしそうな顔。そう、これでやっと番組がおわれる。時刻はかるく朝の6時をまわっていた。
わたしですか?なんと私は二位でした。もう一人二位の方がいて、二位の商品は横綱テレビ、三位の商品はパソコン。私はパソコンが欲しかったのでテレビとともに二位を譲りました。パソコン、米一俵、一年分のカップラーメンの目録を手に初日の出を浴びながら家路に付きました。

写真は一番左がボビー、その横が私よ。

この話後日談があります。

2007-04-11

好きなのはロックステディ


ただ今、過去まれにみる風邪っぴきである。熱はでるし咳は止まんないし、ゲルシーからは”それ、インフルエンザじゃないですか?もしくは歳。”と言われた。どっちにしてもカックリだ。こんな日はなるべくお客さん来ませんようにと心に祈る。だってぇ〜きついもんはきつい。で、お客さんのこない間はブランケットにくるまってソファーでゴロゴロする。BGMは大好きなREGGAE、ジャンルはロックステディにかぎる。あ〜しあわせ。熱のある頭と体になんて心地いいんだろう。過去にREGGAEが流れていたシーンが頭をよぎる。松屋8Fのラパス、TAXI、PINK FLAG、シーズンオフのサンセットもすんごく似合ってたよな。お客さん誰もいなくって植木や窓に心地いい風が流れる。まるでグラビアの中にいるような、すべてのものがスローモーションで動いているように感じた。あのころのサンセットにいれたことをすんごく誇りに思う。今となってはオーナーも居心地悪いみたいであんまり店にいないしね。(居心地いいのは早良区らしい(笑))ま、そんなことはどうでもよくって、最近流行のどかどかガンガンのREGGAEは苦手なんです、私。路地裏でジーさんが歌ってるみたいなのが好き。なので今回の映画Ruffn'Tuffはおなみだ頂戴物でした。やっぱグレゴリーはかっこいいです。あの人たちが奏でるスカが好きです。写真はこの映画の出演者高津くんが送ってくれたもの。生で、路地裏(といってもかの有名なオレンジストリート)で歌うグレゴリーの姿がみれたなんて羨ましいかぎりです。あぁ、音楽で風邪が治らんかねぇ〜

2007-04-09

逆転ホームラン


うちの店にときどき来るあるお客さん。
彼女は何年か前にご主人を失った。癌だった。そのことを宣告されたときには、その現実を受け止めるまでが苦しかったらしい。病院に入院させたことにも後悔していた。未亡人になってからは、まわりから助けられたり揶揄されたりの日々だった。すごく寂しかっただろう。

数年して彼女に彼氏ができた。あまり回りににどうどうと紹介できることのできないような彼氏だった。前科一犯。薬物中毒である。私の知るかぎり、その後二回警察に捕まった。その度に彼女は泣いて私のところにやってきて、どうしようと言ってきた。三度めのときにはいいかげんにしたら?と言ってみた。私は友人の 精神保健福祉士(精神科のカウンセラーのような人)にいろんなことを尋ねた。薬物依存にかぎらず、ほとんどの病気がその病気にかかった時間と同じくらい治るのにはかかるということ。本人が改心しなければ回りがどんなにがんばっても、直る見込みがないこと。万が一の逆転ホームランはほんのわずかな人にしか見られないこと。彼女は彼を助けているような自分に酔っていった。彼がイライラすれば自分もイライラし、喧嘩をふっかけられればこたえ、顔や体に痣ができている日もあった。この頃、彼女の精神も少しゆがんでいるのが私にはわかった。なぜに彼女はそんな彼に固執するのか私には不思議でならなかった。ただ、亡くなった前のご主人を助けることができなかったトラウマがあるのは感じる。何回か彼女と口をきかない時期もあった。どう接していいのかわからないし、遂には二人の喧嘩の仲裁に入らされ、夜中に、カーッとなった彼の方が私の家にやって来ることもありすこし私は怖くなってきた。なんせどんな行動をするかわかりませんからね。ただ、彼女にはあなたがどんなに献身的にしても彼が変わらないことにはどうしようもないよ、とは言っておいた。

言い放っては見たものの、ものすごく心配だった。そう、私は自分のことのように人のことを心配する癖がある。どうして彼女はあんな人生を棒に振りそうな人を敢えて選ぶのだろうか?とか。何のメリットがあるんだろうか?とか。やっぱり体?とか、いろいろ考えた。  

しばらく音信不通の日が続いた、ある雪の降る日に彼女がやってきた。 涙をぽろぽろこぼしながら。ごめんねマコさん。あなたの言ううとおりだった。と彼女は言ってきた。私はホッとした。とりあえず彼女は現実に気がついた。自分が彼のペースに飲み込まれていたことを深く反省していた。精神病院に行って、同じような症状の患者を持つ家族との話し合いでそのことにやっと気がついたらしい。以前私や回りの人が話していたことはその当時の彼女には聞こえていなかったらしい。時間が経ち、やっと彼女の中に聴く耳ができていったらしい。

それからまた少し時間が経ち、ふと思い立ち彼女に連絡を取ってみた。彼は今のところ荒れることもなく、今までは続けることすら難しかった仕事に通ってるらしい。彼女はと言えば、相変わらず献身的に彼のことを支えている。しかしそのスタイルが変わった。すごくすごく長い道のりだったけど、彼女は今、 精神保健福祉士の国家試験を受けようと張り切っている。彼と似たような人やその家族を助けたいのだと言う。この仕事を見つけ出すきっかけを作ってくれた彼に感謝していると言う。自分もつらい経験をしてきたから、そのことを今苦しんでいる人に多少なりともアドバイスできたらうれしいと。現実をしっかり受け止め、もっと知識のある人の話を聞いたりそう言う人の書いたものを読んだりして、知識を高めていくこと。そして、素直に聴く耳を持つことが、いろんな困難を乗り越えていく鍵だね。と彼女と言い合った。

もしかしたら逆転ホームランが高々と打ち上げられる日が来るかもしれないな。と思った。

2007-04-02

三つ子の魂百まで


滋賀県には母の実家があった近江八幡と、弟たちが生まれる頃に預けられていたその市内のはとこのお家、島町がある。琵琶湖のほとり。ここのとこ回りでいろんなことが起こり、何回か聞いた、“お墓参りしとかんといかんよねぇ〜”という会話。気が付けば自分も長いこと行ってない気がしてきた。そうなると行きたくていきたくてたまらなくなるのが私の性分。すばらしいタイミングで、青春十八切符で出かける友人に声をかけてもらった。この歳にして夜行での移動。はたして耐えることができるのか?乗ってみたら何の事はない、老若男女、様々な人種が乗っているではないか!晴れて向かったわが古里、滋賀県近江八幡市島町。この場所、実は今、私が住んでいるところにあまりにもロケーションが似ている。田んぼの中のまっすぐな道の先の北側の山を背にして建物が建っているところ。この裏山を抜けると海(地元の人は琵琶湖をこうよぶ)に続く山道。どうしてこんなにも似たところを自分は選んだのだろうと不思議でたまらなくなった。三つ子の魂百までといううヤツだろうか。愛すべき古里であった。もちろん滞在中は毎日お墓参りに行って来ました。お墓参りっていいもんです。写真は近江八幡の八幡堀です。