2006-05-31

おフランスブーム



一時期フランスにこっていた。というより当時はおフランスブーム、しっかりその波に乗ってたのやら、のせられていたのやら…ついのめり込むとのぼせ上がってしまうタイプの私。要はミーハーなだけなんですけどねぇ。素敵なセルジュゲンズブール様が亡くなったと言っては墓参りへパリへ。フランスきってのファンクバンド、マノネグラのボーカルマヌーチャオ様からサインをクラブチッタでもらえば目をハートマークにして福岡まで追っかけ。住所を調べ上げて本人の自宅(パリの郊外)までいく始末。いたのは庭の変なトーテンポールだけ。フランス語もよくしゃべれんのに相手にされる訳がない。でもいいんです。楽しかったから。それからは、そのとき仲良しだったお友達がかよっていた飯田橋の日仏学館へ通いだしました。いつかはフランスの著名人とお話しできるようにと…フランス語を話すようにはなれませんでしたが、当時のフランスブームのおかげで、この学館でジェーンバーキン、Bettyblueの監督ジャンジャックベネックス等いろんな方にお会いすることができました。そう、時代の波に乗せられるのも悪くはありません。

2006-05-30

SALLYちゃん


今日、久々にサリーちゃんと話した。サリーちゃんとは20ウン年前、ディスコRadioCtyで出会った。サリーちゃんの方が私より小柄なのだが、あんまりにも顔が似ていてお互いの友達が間違えたところからなかよくなった。あるとき彼女と一緒に東京へ行った。はじめての東京。空港から私たちはいきなり六本木へ向かった。そこがその当時の親不孝道りぐらい思い込んでいたのだろう。まだ十代だったにもかかわらず、妙に高級な店でごはん食べた。天井には天使の絵がかいてあったっけ。そのあとバーへ。店に入るとジョニー大倉が一人でお酒を飲んでいる。カウンターに座って二人でカクテル何ぞを偉そうに呑んでいると、となりに三上博史がおねーちゃんを連れてやってきた。東京っちゅうとこはこんなにぽろぽろ芸能人に会えるんだと大錯覚をおかした夜だった。ちなみにその時の私の格好は三つ編みにオーバーオール。若いということは怖いもの知らず。東京に住んでからは“Red Shoes"のような老舗のバーにはよう行ききりませんでした。

2006-05-29

KODAMA&GOTA


昨夜、またもや飲み過ぎて車の助手席で寝ていて、ふっと気分が悪くなって吐こうと思って外に出ようよしたところ、バランスを失い頭から地面に突撃。今朝鏡を見たらおでこに大きなたんこぶ、目は充血してて眉間にはすり傷。すごくブサイクな顔が出来上がっていた。もういい年なのに…もう10年くらい前の年末に東京でかのMUTE BEATのKODAMAさんとGOTAさんのライブがあった。その前日も私は大酒をあおっており、福岡空港へヒーヒーいいながら言った。飛行機にさえ乗ってしまえばこっちのものとシートベルトのサインがとれるや否や後部座席の5列空いてる席へなだれ込み、グーグー寝た。途中目が覚めると、ジュースサービスの紙が貼ってある。のどが二日酔いのためカラからだった私はスチュワーデスさんを呼んでリンゴジュースを頼んだ。とてもおいしかった、のはつかの間、胸からあついものがこみ上げてくる。前席の背もたれのポッケに入っていた袋にいきなりザーーーッ。袋の口をしっかりと締め、東京土産ができました。こんなことまでして、ライブを観に行く自分の根性が好きです。

2006-05-27

大好きなDETERMINATIONS



時は96年、その年のSUNSET LIVEは神懸かりな雰囲気でSKA FLAMESをよぶことが決まり、そうなったらskaなライブにしようということで対バンを探していた。たのみの綱は仲良しのDON'Sのヨシヅミ君。何かいいバンドはないかと尋ねると、関西で活動しているDETERMINATIONSというバンドがあり、大阪でDRUM&BASSというレコードショップをしているDru-weedハヤシ君に尋ねるとよいと教えてくれた。その後話はとんとんとまとまり、はれてデタミと出会えることとなる。ある時のライブのあと片付けも終わった会場に、ホテルの送迎バスに乗り遅れたDrのだいちゃんと松井兄弟(双子なのでどっちだったか、どっちもいたのか覚えてない!)が控えのテントにいた。迎えのバスが来るまでの間に話をしててすごいことがわかった。このデタミには双子の松井兄弟がいる。私にも双子の弟がいるのよ、と伝えると彼らにも私と同じ年のお姉ちゃんがいるとのこと。おまけに彼らの誕生日と我が弟の誕生日はホンの2、3日しか変わらない、プラスどちらも同じ大阪生まれ。あまりに奇遇が重なり私たちの距離はぐっと縮まった。そして毎年で会うごとに彼らはその勢力を大きくしていった。

2006-05-26

SUNSETとの出会い



’94年に福岡に戻ってきて、仕事もできずよくSUNSETに遊びにいっていた。ある夏の日にもうすぐここでライブがあるけど手伝ってくれる人を探しているとお店の人から聞き、”暇なので手伝います。”とかるく答えた。ライブの前日に”では明日は客で楽しませてもらいます。”と伝えたところ、当日もお願いしますと言われた。買っていたチケットは払い戻され、私のSUNSET LIVEデビューとなった。いきなり回りの人たちの素性もわからずADの仕事をいただいた。当日は何がなんだかわからないまま会場中を走り回っていた。楽しかった。こんなすてきなREGGAEの野外フェスはほかにないぞと思った。ライブの最後にはステージの上で出演者と一緒に踊っていた。このイベントをするきっかけに当時のレゲエ屋のハヤシさんとヤマさんの影響はとっても大きかったらしい。このあとこの店の壁画をペイントさせてもらい、足掛け5年もお世話になる事となった。ここで、いろんないろんな体験をした。

2006-05-25

Reggae Japan Splash


今日は、タカエさんとよみうりランドイーストであってたころのReggae Japan Splashの話で盛り上がった。どうもたぶん同じときに行ってたみたい。その後、横須賀の海岸にだだっ広ーく会場が移されるのだが、この遊園地のなかの野外音楽堂でのReggaeフェスはなかなかいいムードのものだった。もりもりReggaeのねーちゃんだった私は弟たちとその友達とともにビールやラム、食材を買い込んで会場入りしていた。会場へ入るとその当時ぼちぼち火が付きだしていたReggaeブームの先駆け的レゲエのニーちゃんねーちゃん、外人さんがわんさか。みんな今までこの広い東京のどこに隠れていたの?ってかんじでした。このときはJanettKeyとかSANDYとか出てたのかなぁ?もちろん中判頃には会場中の人がべろべろに酔っぱらってて酒でなんだか汗でなんだか体はびしょびしょ。毎回こういうフェスに行くと出会いはつきもの、黒い肌の結婚相手を見つけて来る私に我が弟はあきれていた。

2006-05-24

おみずの花道


東京にすんでいた頃、学生をしててもその後デザイン事務所に就職しても辞めれなかった水商売。私にとってはあまりに面白すぎた。年上のおじさんたちのお話をフンフンいいながら聞き、呑みたいだけ大好きなお酒を飲んで喜ばれる、そのうえ普通にバイトしてるより割高、こんな好都合の仕事はなかった。時はバブルはじけたくらい、不況だと言いつつも高いチャージを会社の接待めかしてお客さんも結構来てた。私がイタリアへ行くまで働き続けたその店は上野と御徒町のちょうど間くらいにあり、格好はジーパンとスニーカーでなければ何でもよしのサパークラブ。本ちゃんのクラブに行ったあとに、もうひと呑みしたい方用。ここに勤めたおかげでジルバ、マンボ、チャチャチャくらいは軽く踊れるようになってしまった。そして好都合なのがオーナーがママではなくマスター、チャキチャキの浅草っこのマスターと同僚もなぜか浅草の子だらけ。ついつい私にも浅草リズムが乗り移り毎夜毎夜大騒ぎ。とっても楽しいお水の花道でした。なので今でもカラオケに行くと妙にあいの手が上手だったり、拍手の音がやたらでかかったりするのです。あぁ、写真はマスターと踊ってるとこです。

2006-05-23

恐怖のユキちゃん


今日は休日で、西新のXAYMACAへランチを食べに出かけた。その途中我が母校、J 高校の制服を見かけて思い出した。ユキちゃんのことを。はっきりいって、J 高校の制服は美人が着るとめちゃめちゃ可愛いのだが、まぁだいたいにして、もさい。高校の入学式の次の日くらいにもう私は隣のクラスのユキちゃんとお友達になろうとアプローチしていた。だってユキちゃんは入学式の日に見かけた時にめちゃめちゃ長いくるぶしまであるスカートでウエストは手縫いでぬい縮めてあって、靴はチョン靴。持ってるバッグは下敷き入りでピシーッとしたキティちゃん。髪は限りなくアフロに近い、聖子ちゃんヘアー。もうこんな怖い出で立ちの人は一刻も早くお友達にならなくては!と、私の野生の勘が働いた。私の野生の勘はとてもすばらしくユキちゃんとは20年来のだいのなかよしである。

2006-05-22

やっぱり象が好き


タイトルを書いてて、私の頭にうかんだのはすごく昔のTVでやってた“やっぱり猫が好き”と、こまわり君だった。書きながらブファって笑ってしまった。まぁ、これはよしとして、私はとっても象が好きです。なんでかっていうと(小学生の作文みたい!)他にこんな形をしたどうぶつがいないから。アジアのいろんな国で神様としてあがめられている所が、ちょっと高貴な感じがして好き。でも本当に好きになったきっかけは、スリランカでゾウさんの上に乗ってから!もうなんだかとってもハッピーだった。水着で乗っちゃったもんだからゾウのタワシのような体毛を肌で感じ、乗ってしゃがんでたゾウが立ち上がると屋根の上にいるような気分だった。なんか愛しいのよね〜ゾウって、はははもちろん巨××ずきですよ!ふふっ

2006-05-19

TICKET


10代半ばから行きだしたLIVEのチケットをいまだに大事にとってある。いちまいいちまい手に取るとそれぞれのLIVEで印象的だった事が思い出される。以前のチケットは今のそれとは違っていて、そのイベントごとにデザインされたものだった。シールになってるものもある。このチケットを入手する為に、よくデパートの前に泊まりこみで並んだ。そうしないといい席が取れなかったから…学生だった私は学校が終わってから天神の松屋レディースや岩田屋に行くともう先客がいる。穴場で家からも学校からも近いという事で西新岩田屋の前に鎮座する事が多かった。このチケット取のための外泊はなぜか我が家で許されていた。同じミュージシャンを観に行くので並んでいると変な友情が目覚めたりする。あるときのサンパレスの前に並んだ順で席が決まるRC succetionのLIVEの前夜には、会場の入り口の前で並んでいるもの同士で鍋をして夜を明かした事がある。LIVEの当日にはいつも放任主義な我が母がよく会場まで送ってくれた。なんてやさしいんだろうと当時は思っていたのだが、今よくよく考えると鎖じゃらじゃら髪はツンツンの私の姿をご近所さんに曝したくなかったのよねぇ。

2006-05-18

カセットテープ



何日か前にむかしのカセットテープをほじくりだして聴いてみた。音が流れ出すとその頃の事がどんどん思い出せる。音楽や香りにはそんな記憶を呼び起こす事ができる力がある。毎日discoへそのあとはclubへ通っていた。朝方までその頃珍しく24時間営業だったちろりん村という喫茶店にいると仕事を終えたディスコやクラブの連中、遊び疲れた面々が集まる。明るくなると誰かの車に乗り込み海へ向かう。その頃車のなかでかかっていたカセットテープ。(すごいよね、このカセットテープの銘柄とカバーの絵、まさに80年代)海岸線には店らしき店もなかった頃。エコロジーとかロハスなんて言葉はまだ見当たらなかった。お互いの車に爆竹やゆで卵をぶつけっこしながら目的の海岸まで暴走していた。あっでもヤンキーじゃないよ!格好はみんなその当時はやっていたDCブランド、車もシャコタンとかじゃなくてAUDIやCR-Xなどしゃれた感じ。て、言い訳しても無駄か…クソガキだったよなぁ私たち。

2006-05-17

午の年、午の刻


先日しょっちゅう会ってる母からはがきが届いた。内容は”ゴールデンウィークが終わるとあなたの誕生日ですね、晴天の金曜日の正午(午の刻)でした。お父さんは福岡に出張中!一人で荷物を持って早朝吹田からタクシーで天王寺のバルナバ病院まで行きました。今年も素敵な一年でありますように…!”そうこの世に生を受けてからすごい時間が経ってしまった。あとどれくらい生きるんだろう?今の私にいきつくまでにいろんなことが起きた。そのひとつひとつが、私の血となり肉となっている。忘れたくない数々の思い出を、おもいだすごとに綴っとこうと思う。